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夜行列車メモリーズ
■「ブルートレインものがたり」 種村直樹 〜最終回 これからのブルートレイン

「鉄道ジャーナル」1973年(昭48)7月号より

※以下、料金・名称・呼称・役職名などは原則として「鉄道ジャーナル」掲載当時のまま。ただし「注」は今回の掲載にあたり著者が加えたものです。

これからのブルートレイン

 いま国鉄は、14系と同じアコモデーションの客車寝台編成ブルートレイン4往復ぶん118両を発注しているが、中身をのぞくと不思議な変化に気づく。オロネ=9両・オシ=5両・オハネ=9両・オハネフ=27両、そして最後にマヤ=10両。14系の登場とともに姿を消した電源車を、また製造しようというのだ。

 つまり、14系で採用した分散電源方式を白紙に戻し、また20系の集中電源方式をとろうとする。これは1972年11月6日の北陸トンネル火災事故の経験から、寝台車のそばに幾つもディーゼルエンジンを積み込んでおくと、万一、踏切で自動車に衝突されたとき炎上したりしては大変だという配慮。けっして12系や14系が危険だというわけではないが、性能のよい自動消火器を開発するまで、14系の増備は見合わせ、電源車を客車から分離する集中電源方式によることに決めたという。

 このため、新編成のブルートレインは形式の呼称を変える必要にせまられ、かりに“15系”と呼んでいる。しかし“15系”では14系と混同を招き、電源方式の違う車両を一緒につないでクーラーがきかないなどという恐れを避けるため、20系にあやかって“25系”にしようとの意見が強くなっている。

 いずれにしても、10月のダイヤ改正までには新編成が4往復ぶん完成、山陽すじに3往復と〈あけぼの〉の1往復増発が見込まれている。

 この後の具体的な車両製造計画は未定だが、近い将来、夜行の長距離列車はほとんどブルートレインか電車寝台に置き替えられることは間違いない。また1958・59年製の20系編成を、いずれは急行に格下げして新車に取り替える必要も生じようし、ブルートレインのグループは、まだまだ、かなりの変化を見せそうである。

 ブルートレイン生みの親といえる星晃さんは、こう語った。

「ブルートレインが、こんなに成長して嬉しいですよ。今でも20系は、よくできたという自信がある。私などより、20系を世に出したのは、当時、営業担当の常務理事だった石井昭正さん(注/後の日本食堂社長)や、臨時車両設計事務所次長だった橋本正一さん(注/後の近畿車輛社長)の力が大きいのです。

 いずれにしても、快心の作は、中央通路にしたナロネ21ですね、電車寝台の成功も、あの車両が土台になっています。ナハ20も良い車両だったが、つぶされてしまい、残念だな。

 ルーメットやコンパートは失敗です。ルーメットのほうは壁にはめこむベッドとか、いろいろ工夫はこらしたが、やはり狭軌では狭すぎました。幅があと10cmずつ広くなれば、話は別ですね。新幹線では、うまくやるでしょう。2人用のコンパートは見知らぬ人と同室になるのが欠点だし、中途半端でした。まあ、あのルーメットの室内の工夫が、いま1DKのアパートで生かされているようだから、アイデアとしては、よかったのですがね。

 新しい14系は、素晴らしいですよ。私は外へ出てしまったから、折りにふれて客として利用するだけですが、じつに快適だ。一時は、客車列車など時代遅れだというような意見もあったようだけれど、立派に客車時代の幕が開いたじゃありませんか。全国新幹線網が伸びても、在来線の夜行の客車の需要は、けっして無くならないと思いますよ。それぞれの長所を生かして、使いかたが考えられてゆくでしょう」――

●「ブルートレインものがたり」は、直接取材のほか、つぎの資料を参考にしました。
『国鉄線』1957年(昭32)9月号、1958年(昭33)10・11・12月号/『国鉄通信』1966(昭41)8月22日号「ブルー・トレーンの歴史」など/『鉄道100景』上巻「動くホテル・ブルートレーン」/『列車年表』1972年(昭47)10月(国鉄本社列車課編)/『日本国有鉄道百年史年表』


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