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夜行列車メモリーズ
■「ブルートレインものがたり」 種村直樹 〜第7回 ブルートレインの変身

「鉄道ジャーナル」1973年(昭48)7月号より

※以下、料金・名称・呼称・役職名などは原則として「鉄道ジャーナル」掲載当時のまま。ただし「注」は今回の掲載にあたり著者が加えたものです。

ブルートレインの変身

 こうして、20系のブルートレインが1958年に登場してから10年以上が経過した。この間、細部はともかく基本設計は変わらないのに、あまり古びた感じがせず、デラックス夜行客車寝台列車として定着した。しかし国鉄本社内部では、ベッドの幅がワイドになった電車寝台の登場以後、ブルートレインB寝台のベッドの改革についても検討が重ねられてきた。52cmという幅では、よほどスリムでないかぎり寝返りも打てないことは確かだった。

 新しい寝台客車をつくる以上、ベッド幅を広げるだけでなく省力化の要請にこたえて、ベッドのセット・解体作業を簡略化したいという考えも出た。また、ベッドを広げれば当然ながら定員が減るので、電源車による集中制御方式をやめ、電源用のディーゼルエンジンを分散しようということになった、電源分散方式は、万博輸送用として1969年暮れから登場した、ブルートレインのいとこのような12系客車を6両ユニットにして試み、成功していた。

 こうして1971年(昭46)にデビューしたのが14系編成である。外観は電源車が姿を消して、4両ユニットの14両編成となり、ブルーの色合いもやや明るくなって、クリームの帯は窓の上の1本を削って2本に、車体の裾のしぼりを大きくし、方向幕の窓も大ぶりになって単純化された。かんじんのB寝台のベッドは70cmとゆったりし、中段がボタン操作で50cmほど上下するので、乗務掛は汗みどろの作業から解放された。1両のセット時間は20系の1時間10分に対し、約30分に短縮したという。デッキに折りたたみ式の更衣室をつけたのも新しいサービスだ。

 とりあえず10両完成した14系B寝台車は、東京−宇野間の急行〈瀬戸〉に4両ずつ組み込まれて、お披露目した。さっそく乗ってみた感じでは、ベッドの幅が広くなったのは結構だし、中段のボタン操作も眺めているぶんには楽しいが、昼間、座席車として使うとたんに居住性が悪くなる。中段ベッドはふとんをのせたまま頭の上にあり、万年床の下にすわっている感じ。はみ出したふとんが目ざわりで弁当を広げる気にもならない。ベッドに上がり下がりする梯子も1本の棒になって窓の中央に残り、視界をさえぎる。その後、本格的なブルートレインになってから気づいたのは、食堂車の内部の装飾があまりにもそっけなくなり、うるおいがなかった。なにか、恋人のようなブルートレインが粗末に扱われているような印象をぬぐえないのだった――。

 さて、1971年の年末年始ダイヤづくりが始まったとき、国鉄本社旅客局の須田寛営業課長(注/後のJR東海代表取締役会長)は、こう号令した。

「年末年始臨には、なんとしてもブルートレインも使いたい。いい客車こそ、多客のときフルに使わなくては惜しい」

 ここで生まれたのが、東京−博多間の〈あさかぜ51号〉と、上野発青森ゆき〈はくつる51号〉である。〈あさかぜ51号〉は品川客車区はもとより、青森・向日町両運転所の20系予備車を回送させてかき集め、12両編成2組をひねり出した。食堂車がないだけで立派なブルートレインであり、年末年始8日間続いた。〈はくつる51号〉のほうは、〈瀬戸〉に貸していた14系B寝台車10両をとりあげて12月30日の下りだけ運転した。途中で定期の客車寝台特急〈はくつる〉に抜かれる苦しいダイヤだったが、14系寝台車が“みちのく”を走ったのは、まだ、この時だけである。須田アイデアは見事に成功、多客のピークには予備車編成の臨時ブルートレインを走らせる道を開いた。

 新幹線岡山開業と同時に行なわれた1972年(昭47)3月15日のダイヤ改正で、14系ブルートレインが九州特急に投入され、浮いた20系を使って東京−宇野間の急行〈瀬戸〉、東京−浜田間の急行〈出雲〉をそれぞれ特急に格上げ、〈瀬戸〉は15両の長大編成、〈出雲〉は12両でスタートした。また新大阪−熊本・長崎間に〈あかつき3号〉、新大阪−大分間に〈彗星2号〉も20系15両編成で増発した。これでブルートレインは17往復となった。

 14系に置き替えて若返ったのは〈さくら〉〈みずほ〉・下り〈あさかぜ2号〉・上り〈あさかぜ3号〉の3往復で、いずれも14両編成である。

 鉄道100年記念日を前にした1972年10月2日のダイヤ改正では、またまたブルートレインの仲間がふえた。上野−青森間に〈ゆうづる〉1往復、大阪−新潟間には急行〈つるぎ〉の格上げを20系で、新大阪−熊本間には14系の〈あかつき〉1往復を増発した。同時に、〈あかつき〉2往復を14系に置き替え、〈あかつき〉は4往復中3往復まで14系になった。こうして全国のブルートレインは総勢20往復に成長、うち6往復が14系である。

 1972年11月、こんどは14系普通座席車オハ14形が、波動輸送の昼行特急用として登場した。オハ14形は、オハ12形が団体急行用として設計されたのを特急に転用したのに対し、特急が前提であり、座席も2人掛けの簡易リクライニングシートを採用している。20系の普通座席車ナハ形があっけなく消えて以来ひさびさの快挙だが、14系寝台との混用は考えていない。この系列のグリーン車も製作されず、分散電源方式で普通車ばかり10両の運用となっている。

 14系座席車の臨時特急は11月16日から〈しおじ54号〉として大阪−下関間に姿を現した。同じ愛称、同じダイヤの臨時特急が4日前まで12系を使っていたため、本来の特急車両ではないから特急料金を100円割引いていたのが、この日から一人前の特急列車に生まれ変わった。年末年始臨には上野−秋田間の〈つばさ53号〉にも使われ、1973年(昭48)の春臨でも活躍中である。

 さきに、12系座席車を“ブルートレインのいとこ”と呼んだが、14系座席車はその出来ばえからみて、ブルートレイン一家の総家族に加えたい感じだ。14系座席車は、「ブルートレインは寝台列車なのだ」というこれまでの枠づけを打ち破り、活躍の場を広げてゆく。

 この年、ブルートレイン〈あけぼの〉が推理小説のトリックとして登場した。斎藤栄著「日本列島SL殺人事件」(サンケイノベルス)で、やや事実関係にミスがあるのは残念だが、有名税とでも考えておこう。

 また鉄道友の会は、14系寝台車に1972年ブルーリボン賞を贈り、9月30日〈さくら〉の発車する東京駅15番線ホームで授賞式が行なわれた。

●「ブルートレインものがたり」は、直接取材のほか、つぎの資料を参考にしました。
『国鉄線』1957年(昭32)9月号、1958年(昭33)10・11・12月号/『国鉄通信』1966(昭41)8月22日号「ブルー・トレーンの歴史」など/『鉄道100景』上巻「動くホテル・ブルートレーン」/『列車年表』1972年(昭47)10月(国鉄本社列車課編)/『日本国有鉄道百年史年表』


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