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夜行列車メモリーズ
■「ブルートレインものがたり」 種村直樹 〜第3回 荒廃そして復興

「鉄道ジャーナル」1973年(昭48)7月号より

※以下、料金・名称・呼称・役職名などは原則として「鉄道ジャーナル」掲載当時のまま。ただし「注」は今回の掲載にあたり著者が加えたものです。

荒廃そして復興

 かりそめの繁栄のかげに、次第に戦時色が濃くなり、1941年(昭和16)太平洋戦争に突入。1942年(昭和17)11月15日、関門トンネルが開通し〈富士〉が初めて九州へ乗り入れ、東京−長崎間の直通特急となった。しかし、戦時陸運非常体制の実施で貨物列車重点ダイヤとなったため、〈櫻〉は急行に格下げされ、臨時特急〈つばめ〉は廃止された。

 翌1943年(昭18)2月には、旅客列車を大削減、長崎へ伸びたばかりの〈富士〉は、僅か3カ月で博多打切りとなり、〈鴎〉は廃止。10月になると〈燕〉も姿を消した。そして1944年(昭19)4月には、決戦非常措置要綱に基づいて、一等寝台車と食堂車は全廃、最後まで残った栄光の〈富士〉は運休、10月には廃止と決まり、暗黒の時代へ落ち込んでいった。

 戦いが終わっても混乱は続き、特急が復活したのは1949年(昭24)9月15日。その名も〈へいわ〉と名づけ、東京−大阪間を9時間と、戦前の急行なみのスピードだったが、それまでの急行より2時間あまり速く、展望車と食堂車もついた。1950年(昭25)1月、〈へいわ〉は昔なつかしい〈つばめ〉と改称、リクライニングシートの特別二等車も連結し、一・二等の座席指定を始めた。

 1950年5月、東京−大阪間に〈つばめ〉の姉妹特急〈はと〉がお目見得、10月のダイヤ改正で〈つばめ〉〈はと〉は8時間運転と、ようやく戦前の水準に戻った。東京−浜松間は、後に〈あさかぜ〉をひくEF58、浜松−大阪間はC62が牽引した。1951年(昭26)4月には、東京−大阪間に臨時三等特急〈さくら〉も走った。

 これより先、〈へいわ〉が走り出す前から、後のブルートレインにつながる固定編成客車列車の夢を描いていた人がいる。

「寝台車を中心にしたホテルのような列車をつくりたい。ベッドで目を覚ましたらクラブ室でコーヒーを飲みながら雑談、くつろぎのひとときは展望室で過ごせるような一貫した機能のある新しい車両が必要だ」――1948年(昭23)12月、国鉄本社工作局客貨車課の技官だった星晃(ほし・あきら)さん(注/後の川崎重工業常務車両事業本部長)は、雑誌『交通』(交通協力会)に「こんな列車を走らせたい」というテーマで構想を綴った。

 星さんの構想は、工作局のもつ試案のひとつとしてあるが、日本訪問が認められたぱかりのアメリカ人観光客を対象とした、持ちまわり観光列車用に考えられている。10両編成の固定編成で1号車が電源車であるところは20系ブルートレインそっくり。もっとも、列車の定員を102人に抑え、2・3号車は特珠安楽座席、4号車はクラブ・簡易喫茶室、従業員休養室、5号車が食堂車、6・7号車はルーメット、8・9号車は2人用コンパート、10号車は展望室とクラブ・簡易バーといった具合いに、きわめつきのデラックス車をデッサンしていた。

“特殊安楽座席”というのはリクライニングシートのことなのだが、こんな便利な言葉もなかったため、説明に苦労の跡がにじむ。「手すりの横についているハンドルを操作することによって、背ずりの傾斜を二段に変えうる構造。かつ、前の座席の裏側が手前のほうへ倒せるようになっており、それが足休め台として腰掛けと接続するものだ。背ずりの傾斜を増すようにハンドルを操作すれば、随時、寝椅子のごとく睡眠に便利な形となる」――と。

 その後、星さんは“夢の列車”の講演も手がけ、動くホテルのアイデアはかなりの反響を呼んだが、なにしろ物のない時代なのでなかなか実らない。1953年(昭28)3月15日、京都−博多間に〈かもめ〉が新設され、10時間40分と急行より3時間速く、戦前の〈富士〉をしのいだが、客車は先輩車両の〈つぱめ〉〈はと〉と同タイプ。それも、後に向かい合わせ、4人掛けシートの急行用ナハ形軽量客車に変わった。

 ようやく世相も落ち着きを取り戻し、1955年(昭30)には周遊券の発売が始まり、観光旅行客が目だってゆく。そして1956年(昭31)11月19日、東海道本線の全線電化に伴なって、1950年10月以来の大ダイヤ改正が実施された。〈つばめ〉〈はと〉は全区間が電気機関車(EF58)運転となり、東京−大阪間7時間30分、表定速度74.6km/hと、初めて戦前の水準を上まわった。

 このとき、ふたつのトピックがある。ひとつは東京−博多間にブルートレインの卵となった〈あさかぜ〉がデビュー、17時間25分と急行より一挙に7時間30分もスビードアップしたこと。この〈あさかぜ〉は一般車両を使ったが、東京をタ方に出て大阪付近を深夜に走る画期的な特急列車で、九州特急ダイヤのパターンをつくった。

 昼の仕事をすませ、東京か博多で〈あさかぜ〉に夕方乗ると、翌日の午前中に目的地へ着くので、当日の飛行機を利用するより速く、二等なら飛行機の半額以下とあってキッブは奪い合い状態。ちなみに編成は10両で、荷物車、三等寝台車3両、三等座席車2両、食堂車、二等車、二等寝台車2両となっていた。東京−京都間はEF58、京都−博多間はEF10の受持つ関門トンネル以外はC59の牽引だった。

 もうひとつのできごとは〈つばめ〉〈はと〉のカラー化。機関車から客車まで、ボディを緑色に塗ったのだ。残念ながら、従来の車両に厚化粧したため色合いがさえず、“青大将”という、ありがたくないニックネームを頂戴したが、こげ茶一色から脱皮しようという意欲的な試みだった。

 翌1957年7月、〈あさかぜ〉の姉妹列車〈さちかぜ〉を臨時特急としてやはり東京−博多間に10両編成で運転、10月には東京−長崎間の定期特急として〈富士〉以来の長崎乗入れを復活した。また東京−大阪間の臨時特急〈さくら〉は不定期特急に格上げされた。

●「ブルートレインものがたり」は、直接取材のほか、つぎの資料を参考にしました。
『国鉄線』1957年(昭32)9月号、1958年(昭33)10・11・12月号/『国鉄通信』1966(昭41)8月22日号「ブルー・トレーンの歴史」など/『鉄道100景』上巻「動くホテル・ブルートレーン」/『列車年表』1972年(昭47)10月(国鉄本社列車課編)/『日本国有鉄道百年史年表』


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