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夜行列車メモリーズ
■「ブルートレインものがたり」 種村直樹 〜第1回 ブルートレインの産ぶ声

「鉄道ジャーナル」1973年(昭48)7月号より

※以下、料金・名称・呼称・役職名などは原則として「鉄道ジャーナル」掲載当時のまま。ただし「注」は今回の掲載にあたり著者が加えたものです。

ブルートレイン――この、さわやかな響き。新幹線や電車特急には望めない温かさで、やさしく私たちを包んでくれる列車。ブルートレインには、なつかしい汽車のかおりが漂っている。ブルートレインに乗るたびに心がやすらぎ、ビールが飲みたくなり、どんなに忙しいビジネス旅行でも、ひとときの旅情にひたる――という人も多い。ブルートレインは現代の旅人たちにとって、一夜の恋人といえるのではないだろうか……?

ブルートレインの産ぶ声

 1958年(昭和33)9月4日10時55分、東京駅第4ホームを埋めた人波の中から、歓声と拍手が湧き起こった。鮮やかな藍青色にクリーム色の帯を3本きりりと締め、なめらかな曲線を生かした最後部に〈あさかぜ〉のバックサインを埋め込んだ最初の20系編成が、ゆっくり7番線にはいってきた。スピグラのフラッシュが光り、係員の制止を振りきって、待ちかねたファンがばらばらと〈あさかぜ〉にかけ寄り、つややかな車体の感触を味わった。欧米の映画でしかお目にかかれなかったスマートな客車が目の前にあるのだ。このとき、国鉄の戦後は終わった。

 この20系固定編成客車展示会は車内も公開し、神田寄り最後部のナハフのデッキから有楽町寄りのマニに抜ける一方通行のルートヘファンを誘導したが、たえず車内は満員で、1万枚用意したパンフレットは、たちまち無くなった。昼休みになると、丸の内のオフィス街はもとより、銀座・霞ヶ関あたりからも続々と見物客がおとずれ、順番待ちの列が200mも伸びた。

 車両は軽量構造で、前から電源室つき荷物車、ルーメット(1人用個室)を含む二等A寝台車、二等B寝台車2両、特別二等車、食堂車、三等寝台車5両、三等車、三等緩急車の13両編成。すみずみまで、心地良い冷房がきいていたのも珍しかったし、日本では初めてのルーメットに目を見張る人も多かった。日立製作所が知恵をしぼった薄紫などの淡色を基調にした車内の装飾は、軽やかな旅を約束してくれるようだった。

 13時になると、向かい側の8番線には日本車輌製の編成も到着した。外観は同じだが、客室のデザインは日立と競作になっており、こちらは黒のモケットや木目の壁といった渋いトーンを使っていた。それぞれ個性を生かした内装は、やがて保守上の制約から、両者の長所を生かす形で統合されてしまうが、このポイントだけでも、優れた客車を作りたいという当時の国鉄マンの熱意が汲みとれる。

 いつまでも立ち去らないファンに見送られ、日車編成は10番線に転線、十河信二国鉄総裁ら200人の試乗者を乗せ、14時ジャスト、平塚へ向かった。牽引するのは、〈つばめ〉〈はと〉の塗色に合わせて緑に塗られたEF5849号機。ブルーヘの衣替えが間に合わなかったため、ちよっと恥ずかしそうに、かん高い気笛を湘南路に響かす。沿線の学校のグラウンドから、かわいい手が一斉に振られた。

「いやァ、二重窓で密閉されてるから、息苦しいのじゃないかと思ってましたが、じつにさわやかだ」

「さすがに騒音も小さい。それに台車が良いのか、ほとんど揺れませんね、ポイントを渡るのも気づかないくらいですよ」

 平塚駅でひと休みして夕暮れの東京へ戻ってきた〈あさかぜ〉の試乗者は、口をきわめてほめたたえた。慢性的なラッシュの大混乱が続くなかで、国鉄は世論を気にし、〈あさかぜ〉新編成に『デラックス』という形容詞を使うことを禁句にしていたが、「デラックスとしか言いようがないじゃないか」と職員のひとりがつぶやき、にやりと笑った。

 9月15日、〈あさかぜ〉の長距離試運転が始まると、追いかけるように旧〈こだま〉形特急電車の第1号編成も落成、サン・サン・トウ――1958年10月1日のダイヤ大改正を迎えたのである。

(第2回へつづく)

●「ブルートレインものがたり」は、直接取材のほか、つぎの資料を参考にしました。
『国鉄線』1957年(昭32)9月号、1958年(昭33)10・11・12月号/『国鉄通信』1966(昭41)8月22日号「ブルー・トレーンの歴史」など/『鉄道100景』上巻「動くホテル・ブルートレーン」/『列車年表』1972年(昭47)10月(国鉄本社列車課編)/『日本国有鉄道百年史年表』


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